歴史
この古刹の開基は建武元年(1334年)、足利家時によります。足利家時は鎌倉時代中期の御家人ですが、その孫は有名な足利尊氏、室町時代の代表的な将軍です。そして開基前年の1333年は元弘の乱で鎌倉幕府を打倒した後醍醐天皇が「建武の新政」を開始した年。この「建武の新政」は結局1336年に建武の乱で後醍醐天皇が足利尊氏に敗れ、短期間で終わっています。
そのような激動期に開基された報国寺、鎌倉時代末期からの激動の時代を目にしていたのでしょう。永享の乱(1439年に起きた足利持氏の室町幕府将軍・足利義教への反乱)で関東公方・足利持氏は敗退し、永安寺で自刃した時、その長子・義久もこの寺に入って自刃しています。竹林の美しさの陰には、このような悲劇もあったのです。