風致地区

風致地区の概要

土地にはすべて何らかの法的な規制がかかっています。土地を所有していたら何をしてもいい、という訳ではありません。都市部及びその周辺は都市計画法により区域指定されています(都市計画区域といいます)。都市計画区域の市街地部分には「地域地区」という数多くの規制があります。代表的なものが用途地域と呼ばれる指定です。第一種低層住居専用地域、商業地域、といった末尾に「地域」がつく指定です。
このページで取り上げるのは、この「地域地区」の一つ、「風致地区」です。

まずは、国土交通省のページから、風致地区の説明をみてみましょう。

風致地区は、都市における風致を維持するために定められる都市計画法第8条第1項第7号に規定する地域地区です。
「都市の風致」とは、都市において水や緑などの自然的な要素に富んだ土地における良好な自然的景観であり、風致地区は、良好な自然的景観を形成している区域のうち、土地利用計画上、都市環境の保全を図るため風致の維持が必要な区域について定めるものです。

字面だけでは、どんな場所かイメージしにくいですね。ここで風致地区のイメージを紹介している「大磯町  風致地区のしおり」から画像を引用してみましょう。なお大磯町の風致地区は条例で第1種から第4種まで定められています。東京都は第1種と第2種の指定なので、自治体の考えで風致地区指定の考え方も違うようです。

第1種風致地区イメージ
第2種風致地区イメージ
第3種風致地区イメージ
第4種風致地区イメージ

イメージ画像からすると、第1種は緑の景観がある景勝地や史跡、第2種は古くからある緑豊かなお屋敷街、第3種は土地区画整理事業などでできた植栽の多い高級住宅地、第4種はそれ以外のいい感じのまち、というところでしょうか。

風致地区の歴史

風致地区はいつからあるのでしょうか。実は大正8年に都市計画法(旧法)ができた時から、それが定められています。そして昭和43年の都市計画法(新法)においても変わっていません。昔からあるのですね。で、どんな地区が指定されていたか、参考文献からまとめてみましょう。以下が指定地区と指定年、指定理由です。戦前だけに指定理由も重々しい感じです。

指定年 指定地 指定理由(成文)
大正15年
明治神宮
環境の風致を維持し神宮崇敬の意を完うせんとす
昭和8年
多摩御陵
神域の保護
昭和8年
洗足、善福寺、石神井、江戸川
洗足池、三宝寺池、善福寺池及び小合溜井を中心とし、その附近一帯の地域を風致地区に指定し、もって其の風致を維持せんとするものなり
昭和8年
多摩川、和田掘、野方、大泉
雑木林を以て覆はるる景勝地、常緑樹に富む台地、森林を以て囲繞せられ詩趣豊、東部は地検の変化極まりなく、西部は多く森林にして自然の風致に富める

これをみてもわかるように、当初は国家として重要かつ神聖な場所、そして自然を守るべき場所が指定されています。ドラマやファッション誌の撮影で有名な神宮外苑の銀杏並木もこのときに風致地区に指定されました。いまも残っているのはすごいことですね。なお、昔は原宿・表参道も風致地区指定されていたそうです。その名のとおり明治神宮の表参道なのですから当然ですね。

風致地区の規制

風致地区の目的は分かりましたが、具体的に何を規制するのでしょう。規制の内容は市区町村で異なります。ここでは、なんと市全域の約55.5%を風致地区に指定している鎌倉市(風致地区面積約2,194ha)の「風致地区・古都保存区域のしおり」から、規制内容を引用してみましょう。

風致地区内で次の行為をしようとする場合には、鎌倉市長の許可を受けなければなりません。
1.建築物その他の工作物の新築、増築、改築又は移転
2.建築物その他の工作物の色彩の変更
3.宅地の造成、土地の開墾その他の土地の形質の変更
4.水面の埋立て又は干拓
5.木竹の伐採(木竹の保育のために通常行う間伐や枝打ち、枯損した木竹や危険な木竹の伐採等は、許可不要)
6.土石の類の採取
7.屋外における物件の堆積
建物を建てるだけでなく、樹を切ったり、大きな石を外へ持ち出すのも、市長の許可が必要だというのです。なんと大変なことではありませんか。逆にこのように規制するからこそ「古都鎌倉」のイメージが保たれているといえます。

まとめ:風致地区の意義

風致地区は大正時代からある地区指定の制度ですが、どのような意義があったのでしょうか。参考文献よりポイントを引用してみましょう。
名所性、伝統性の継承

・公園は機能的・機械的に配置されるが、風致地区は歴史性、眺望性等、土地の持つ魅力、すなわち属地性により指定される。

・日本人の生活様式になじみの深いレクリエーション形態であった四季の名所の伝統を受け継ぐもの。

 

景観、街づくり行政の先駆性

・風致地区は、主に建築物規制と郷土意義を持った自然景観の保全によって形成される。

・風致地区は近年の景観、街づくり行政等の内容を先駆的に実現していたもの。

 

民間による運営管理

・古来の名所地は民間により経営されていた。風致地区もその伝統を受け継ぐものである。

・現在の公園の民活、住民参加の先駆けである。

「風致地区」というと「景色、眺望がよい」という前向きな評価と「規制が厳しい」という後ろ向きの評価がありますが、その内実は、いまでは当たり前になった「まちづくり」という概念を先駆的につくったものだと考えていいのではないでしょうか。大正時代、意外に新しいのかもしれません。 物件が風致地区にあることを嘆くのではなく、前向きに捉えてもいいのではないでしょうか。
(参考文献) 戦前期における風致地区の概念に関する研究 種田 守孝, 篠原 修, 下村 彰男 造園雑誌1988年52巻5号